講話 1 – 41

気づき

『新約聖書』に刻まれている“真理”は、決して無視されてはいけないものです。あなたたちが真実を現すならば、あなたたちも真実となります。あなたたちの本質は、“神”なのです。今この瞬間、この本質を、自分のものとしなさい。今は、“永遠”なのです。“人生”の一瞬一瞬のすべてが、“今”なのです。ゆえに、過去を思い煩わず、未来を心配してはなりません。未来は、今を生きるあなたたちによって、解決されるのです。

(マタイによる福音書 6:25-34、ヨハネによる福音書 5:39、8:31-32、14:6、17:3,17、ヨハネの手紙一 4:16、コリントの信徒への手紙二 5:17、ヤコブの手紙 1:2-4、フィリピの信徒への手紙 3:13-14、4:4-7、使徒言行録 17:2-3、テモテへの手紙二 3:14-17、ヘブライ人への手紙 4:12、13:8、イザヤ書 43:18-19、箴言 3:5-6、4:25-27、詩編 90:12、118:24、ヨハネの黙示録 1:8、21:5)

講話 1 – 42

気づき

あなたたち全員が、すべての空間を満たしている、 “全能なる遍在者”が存在している、という悟りに到達しなければなりません。それは、過去も未来も知らない“久遠の今”であり、昨日も今日も、永遠に変わらないのです。

(マタイによる福音書 28:20、ヨハネによる福音書 8:58、14:6,27、ヘブライ人への手紙 13:8、出エジプト記 3:14、イザヤ書 41:10、 43:18-19、46:9-10、箴言 8:23、詩編 90:2、139:7-12、ヨハネの黙示録 1:8)

講話 1 – 43

気づき

すべての時間が“今”であることを理解するようになると、“切望すること” はなくなり、あれこれ待ち望むことをやめ、大きな緊張がなくなります。今日というこの日でも、あなたたちの中のどれだけ多くの人びとが、心を張りつませていることでしょう。それは、“遍在なる全能者”の中に生きていないからです。過去や未来に生きていて、今の今、“神の命”が栄光に輝いていることを、見逃しているのです。

(マタイによる福音書 4:14、6:34、28:20、ヨハネによる福音書 14:6,27、ルカによる福音書 12:25-26、コリントの信徒への手紙二 6:2、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、ヘブライ人への手紙 13:8、イザヤ書 41:10、43:18-19、詩編 37:4、46:10、139:7-12、ヨハネの黙示録 1:8)

講話 1 – 44

気づき

あなたたちの魂に“平安”が訪れ、これまで悩まされていた重荷は、もはや消え去ります。“わたし”のものはすべて、あなたたちのものであることを知るようになり、世の重荷で悩むことはなくなるのです。

(ヨハネによる福音書 14:27、17:10-11、マタイによる福音書 6:25-34、11:28-30、ルカによる福音書 15:31、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、ローマの信徒への手紙 8:6,16-17、イザヤ書 26:3-4、箴言 3:5-6、10:22、16:3、詩編 4:8、23:1-2、ヨハネの黙示録 3:21、21:4、22:5)

講話 1 – 45

気づき

“霊”はすべての力であり、すべてを指揮しています。しかし、外から見ているだけでは、目の前に広がる祝宴に参加することは決してできません。しかし、進んで中に入るならば、今の今、宴会に参加することができるのです。今以外の時は、永遠にないのです。

(ヨハネによる福音書 6:35、14:6,23、マタイによる福音書 7:7-8、22:1-4、マルコによる福音書 1:15、2:17、10:15,21、ルカによる福音書 14:16-17、15:11-32、ヘブライ人への手紙 4:16、出エジプト記 19:5-6、イザヤ書 55:1-3、詩編 23:5-6、34:8、ヨハネの黙示録 3:20、19:9)

講話 1 – 46

気づき

この理解に達したとき、与えられた時間の中で、多くのことを成し遂げなければならないと感じている熱心な魂は、“愛”と奉仕こそが喜びであり、安らぎであることを知るようになるのです。

(ヨハネによる福音書 15:12-13、マタイによる福音書 11:28-30、22:37-40、コリントの信徒への手紙二 9:7、ガラテヤの信徒への手紙 5:13-14、ローマの信徒への手紙 12:1、フィリピの信徒への手紙 2:3-4、ヨハネの手紙一 3:18、4:8、箴言 3:27、11:25、14:21、19:17、22:9、詩編 16:11、23:1-3、100:2、ヨハネの黙示録 22:3)

講話 1 – 47

気づき

これらの言葉はなかなか理解できず、不可解なものに感じられるかもしれません。しかし、“主”の中に安らぐとは、常に、“主”と共にある、ということです。“主”は、“全能者”の至高の現れです。これを理解すれば、恐怖も疑いも消え、人生は喜びとなるのです。

(ヨハネによる福音書 14:27、15:5、マタイによる福音書 6:25-34、11:28-30、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、ローマ人への手紙 8:6,38-39、イザヤ書 26:3、40:31、41:10、箴言 3:5-6、14:26、16:3、19:23、詩編 16:11、23:1-6、37:7、46:10、ヨハネの黙示録 1:17-18、7:16-17、14:13、21:3-4、22:3-4)

講話 1 – 48

気づき

世のさまざまな重荷を、思い煩うときにのみ、悲哀があるのです。心を上に向け、あなたたちの“父”が、あなたたちに何が必要かを知り給い、すべてを用意して下さっていることを喜びなさい。食卓は、すでに用意されているのです。望むならば、今すぐに宴会に参加し、好きなだけごちそうを頂くことができるのです。ただ一つ必要なのは、それを受け容れることができるかどうか、ということだけなのです。

(マタイによる福音書 6:25-34、ルカによる福音書 12:32、ヨハネによる福音書 10:10、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、ローマの信徒への手紙 8:32、イザヤ書 25:6、箴言 3:9-10、10:22、28:25、詩編 23:1-6、34:9-10、ヨハネの黙示録 3:20、19:9、21:6)

講話 1 – 49

気づき

あなたたちのエネルギーは更新され、さらなる経験をしていくための道を、大きく広げることになります。時間や空間を超越した意識によってもたらされる、平安と静けさの感覚とともに、そうなります。なぜなら、それは、時間や空間に制約されない、“久遠常在の存在”によるものだからです。

(ヨハネによる福音書 1:1、14:27、コリントの信徒への手紙二 4:18、5:17、フィリピの信徒への手紙 4:7、ヘブライ人への手紙 13:8、コレヘトの言葉 3:11、イザヤ書 40:31、箴言 3:21-24、4:18、10:29、詩編 46:10、90:2、139:7-8、ヨハネの黙示録 21:6、22:5,13)

講話 1 – 50

気づき

霊に生きるとは、“実在”の中に生きることです。それは、時々思いつくようなものではなく、特定の場所や空間に限られるものではありません。無限の中に、どうして時間や空間が存在できるのでしょうか。あなたたちは、すべての空間を満たしている、"神の御心"の中に生きていることを知りなさい。神が存在しない場所は、どこにもないのです。

(ヨハネによる福音書 1:3、4:24、17:3、マタイによる福音書 28:20、マルコによる福音書 13:31、ルカによる福音書 17:21、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、使徒言行録 17:27-28、エフェソ書 4:6、エレミヤ書 23:24、イザヤ書 66:1-2、詩編 24:1、139:7-10、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13)