講話 1 – 91
気づきこの“愛”が、あなたたち自らの内にあるのだと気づいたとき、あなたたちの内から、偉大なる“力”が湧き上がって来るのです。どんな力も、外からは来ないのです。
(マタイによる福音書 6:6、22:37-39、マルコによる福音書 12:30、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 14:23、15:5、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 4:16、エフェソの信徒への手紙 3:20、ヨハネの手紙一 4:4,19-21、フィリピの信徒への手紙 4:13、箴言 4:23、詩編 42:1-2、73:26、ヨハネの黙示録 3:20)
講話 1 – 92
気づき“愛”は、その“源”より絶え間なく湧き出る流れであり、実在する“唯一の力”であり、魂も身体も、“愛”によって支えられているのです。
(ヨハネによる福音書 3:16、4:14、15:5、マタイによる福音書 22:37-39、ルカによる福音書 10:27、ヨハネの手紙一 4:7-8,16、コロサイの信徒への手紙 1:17、コリントの信徒への手紙一 13:13、ローマの信徒への手紙 8:38-39、フィリピの信徒への手紙 4:13、箴言 10:12、詩編 36:7-9、103:1-5、ヨハネの黙示録 21:6、22:1)
講話 1 – 93
気づき“愛”は、心の内なる歓喜であり、魂と身体の保護者です。すべての“神の御業”は、“神の愛”に基づいているのです。
(マタイによる福音書 22:37-39、マルコによる福音書 12:30-31、ルカによる福音書 10:27、ヨハネによる福音書 3:16、ヨハネの手紙一 4:7-8,16、コリントの信徒への手紙一 13:4-8、ローマの信徒への手紙 8:38-39、箴言 10:12、詩編 36:7、91:4、103:1-5、139:7-10、ヨハネの黙示録 21:4)
講話 1 – 94
気づきすべては、“神”(the Divine)に従います。このことを知れば知るほど、あなたたちは、神に近づいていきます。すべては、同一の力に従います。なぜなら、“無限に生きる命の力”(the Power of the Infinite Living Life)以外に、どんな力も存在しないからです。ゆえに、“神聖なる神の遍在”のみが、“実在”なのです。
(ヨハネによる福音書 14:20、17:3、マタイによる福音書 5:48、マルコによる福音書 12:29-30、ルカによる福音書 17:21、ローマの信徒への手紙 11:36、コリントの信徒への手紙一 8:6、コリントの信徒への手紙二 3:18、エフェソの信徒への手紙 4:6、使徒言行録 17:28、ペトロの手紙二 1:4、コロサイの信徒への手紙 1:17、箴言 3:5-6、詩編 139:7-10、ヨハネの黙示録 1:8)
講話 1 – 95
気づき“愛”は、全宇宙に存在する、唯一の“力”です。全宇宙のすべての存在が、“愛”に応えます。花も動物も、人間も天使も、すべての存在が、“愛”を崇め、“愛”に共鳴するのです。
(マタイによる福音書 22:37-40、ヨハネによる福音書 3:16、15:12、ヨハネの手紙一 4:7-8、コリントの信徒への手紙一 13:4-8,13、コヘレトの言葉 3:11、詩編 103:1-5、145:9、148:7-10、ヨハネの黙示録 5:13)
講話 1 – 96
気づき“愛”は、神なるがゆえに、存在するものの中で、最も偉大な力でなければなりません。“愛”は、すべてを調和させます。“愛”は、“大自然”のどんなものからも分離することはできません。“愛”は、すべての現象の背後にある真実の原因であり、他のすべての条件が取り去られても存続するからです。
(マタイによる福音書 22:37-40、マルコによる福音書 12:29-31、ルカによる福音書 10:27、ヨハネによる福音書 3:16、コリントの信徒への手紙一 13:1-13、ヨハネの手紙一 4:7-8,16、コロサイの信徒への手紙 1:17、ローマの信徒への手紙 8:38-39、箴言 8:22-23、10:12、詩編 103:1-5、136:1、ヨハネの黙示録 21:6)
講話 1 – 97
気づき苦境に立たされても、“父”があなたたちを見放したと思ってはなりません。“父”は、あなたたちをさらに完全な存在とし、“父の創造力”を発揮するための、より完璧な媒体になされようとしているのです。
(ヨハネによる福音書 14:27、15:2、マタイによる福音書 6:25-34、ヘブライ人への手紙 12:5-11、ヤコブの手紙 1:2-4、ローマの信徒への手紙 5:3-5、8:28、フィリピの信徒への手紙 1:6、イザヤ書 48:10、箴言 3:11-12、詩編 34:18、66:10-12、ヨハネの黙示録 2:10、3:19、7:14)
講話 1 – 98
気づき無智は、それ自体には何の原理もないように、誤りにも、原理はありません。数学には原理がありますが、誤りには、原理はないのです。誤りは、正されれば、消えてしまうからです。ゆえに、無智や誤りには、それ自体には、どんな力もないことがわかるでしょう。
(ヨハネによる福音書 8:32、マタイによる福音書 6:22、コリントの信徒への手紙一 3:19、コリントの信徒への手紙二 4:4、13:8、エフェソの信徒への手紙 5:13、ヘブライ人への手紙 5:14、ヤコブの手紙 1:5、ヨハネの手紙一 4:1、イザヤ書 40:8、箴言 1:7、4:7、12:19、詩編 119:105,160、ヨハネの黙示録 21:23、22:5)
講話 1 – 99
気づき預言者(ソロモン)は、『箴言』に書いています。
「子よ、蜜を食べよ。実に良いものだ。滴る蜜は口に甘い。魂にとって知恵も同じと知れ。それを見いだせば、未来があり、希望が絶たれることもない」と。
(マタイによる福音書 7:7-8、13:44-46、ヨハネによる福音書 4:13-14、コロサイの信徒への手紙 2:2-3、ヤコブの手紙 1:5、箴言 2:1-5、3:13-14、16:24、24:13-14、詩編 19:7-11、119:72,103-105、ヨハネの黙示録 10:9-10)
講話 1 – 100
気づき“愛”は、学んだ者も学んでいない者も、賢いも者も愚かな者も、すべての者が使える秘薬です。“愛”は、すべての言葉を語ります。“愛”は、魂の安息の地なのです。
(マタイによる福音書 11:28-30、22:37-39、ヨハネによる福音書 3:16、13:34-35、コリントの信徒への手紙一 13:1-13、ヨハネの手紙一 4:7、ローマの信徒への手紙 13:10、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、箴言 3:3-4,10:12,13-18、詩編 62:1-2、103:1-5、ヨハネの黙示録 7:9)