講話 14 – 35
“わたし”は自分から語っているのではありません。“わたし”の内に常にとどまっておられるのは“父”であり、その方は万物の“父”であり、また万物そのものであられます。“わたし”の内におられ、また“わたし”のために語っておられるのは、その御方です。“父”の内にある同じ“命”が、“子”にもあるのです。
(マタイによる福音書 10:20、マルコによる福音書 13:11、ルカによる福音書 10:21-22、12:12、ヨハネによる福音書 5:19,30、10:30、12:49-50、14:9-11、17:8,21、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 11:36、コリントの信徒への手紙一 8:6、コリントの信徒への手紙二 4:6-7、13:3、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 4:6、フィリピの信徒への手紙 2:5-6、コロサイの信徒への手紙 1:19、テサロニケの信徒への手紙一 5:24、ヘブライ人への手紙 1:3、ペトロの手紙一 4:11、イザヤ書 59:21、箴言 8:30,35、詩編 33:6、36:10、104:30、119:50、ヨハネの黙示録 3:21、21:6,22-23)
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