講話 12 – 5

この“神性の本質”それ自体は、思考や記憶に頼ることなく、“直に知る力”(直接知)を備えています。それは自由で、あるがままであり、無限の理解力があるため、それ自身の内に創造する力を備えています。それは理性を超えており、“叡智”に満ちています。しかし、理性がそれについて判断しようとするとき、この「“神性”なる無限の本質」は制約されてしまいます。なぜなら、それは理性を超えており、理性は心(mind)に基づきますが、“実在”(Reality)は心を超越しているからです。

(マタイによる福音書 11:25、マルコによる福音書 4:11、10:15,27、ルカによる福音書 1:37、10:21、18:27、ヨハネによる福音書 1:1、16:13、使徒言行録 7:55、17:28、ローマの信徒への手紙 11:33-34、コリントの信徒への手紙一 2:10-14、コリントの信徒への手紙二 3:5、4:18、ガラテヤの信徒への手紙 1:11-12、2:20、エフェソの信徒への手紙 1:17、3:18-20、フィリピの信徒への手紙 4:7、コロサイの信徒への手紙 2:3、イザヤ書 55:8-9、ヨブ記 28:28、箴言 3:5-6、詩編 139:6、ヨハネの黙示録 5:12、19:6、21:6、22:13)

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