講話 11 – 113

“わたし”は、弟子たちに、密かに奥義を教えましたが、あなたたちにも、同じように教えているのです。

(マタイによる福音書 7:6、13::10-11、マルコによる福音書 4:11,33-34、13:10-11、ルカによる福音書 8:9-10、ヨハネによる福音書 3:11、14:21、16:12-13、使徒言行録 1:3、ローマの信徒への手紙 16:25-26、コリントの信徒への手紙一 2:7、コリントの信徒への手紙二 4:6、ガラテヤの信徒への手紙 1:11-12、エフェソの信徒への手紙 3:3-5、フィリピの信徒への手紙 3:15、コロサイの信徒への手紙 1:26-27、イザヤ書 45:3、48:6、ダニエル書 2:22、エゼキエル書 2:9、箴言 3:32、詩編 25:14、ヨハネの黙示録 1:1、2:17、3:12、10:7、14:3)

(編集者補足)
『永遠なるキリスト』(「ディヴァインヒーリング」改題)という書物の本質は、まさに聖書のエッセンスを伝えているものといえます。本講話11-113では、それが明確に示されています。このことについて、聖書の中には、どんな関連の聖句があるのかを以下に例示してみます。しかし、聖書の解釈は、読む人によって、また状況によって、さまざまなインスピレーションが与えられるものであり、万人に一様なものではないでしょう。あくまでも参考例です。

聖なるものを犬に与えてはならない。また、豚の前に真珠を投げてはならない。豚はそれを足で踏みつけ、犬は向き直って、あなたがたを引き裂くであろう」(マタイによる福音書 7:6)
そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘義が授けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。(マルコによる福音書 4:11)
まず、福音がすべての民族に宣べ伝えられなければならない。(マルコによる福音書13:10)
イエスは、このように多くのたとえで、人々の聞く力に応じて御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、ご自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。(マルコによる福音書 4:33-34)
イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘義を知ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、『彼らが見ても見えず、聞いても悟らない』ためである」(ルカによる福音書8:10)
よくよく言っておく。私たちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたは私たちの証しを受け入れない。(ヨハネによる福音書3:11)
言っておきたいことはまだたくさんあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。しかし、その方、すなわち真理の霊が来ると、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれる。その方は、勝手に語るのではなく、聞いたことを語り、これから起こることをあなたがたに告げるからである。(ヨハネによる福音書16:12-13)
神は奥義と秘義を啓示し、闇にあるものを知り、光が御もとに宿ります。(ダニエル書2:22)
私が見ていると、手が私に差し伸べられており、その手には巻物があった。(エゼキエル書2:9)
イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。(ヨハネの黙示録1:1)
耳のある者は、霊が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほか誰も知らない新しい名が記されている。(ヨハネの黙示録2:17)
勝利を得る者を、私の神の神殿の柱としよう。彼はもう決して外へ出ることはない。そして私は彼の上に、私の神の名と、私の神の都の名、すなわち、神のもとから出て天から降って来る新しいエルサレムの名を、そして、私の新しい名を書き記そう。(ヨハネの黙示録3:12)
第七の天使がラッパを吹き鳴らすとき、神の秘義が成就する。それは、神がご自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである。(ヨハネの黙示録10:7)
彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌を歌っていた。この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、誰も覚えることができなかった。(ヨハネの黙示録14:3)

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