講話 11 – 97
「“わたし”は“命”である」という言葉の意味を悟るためには、まず何よりも、「神は“命”であり、“命”は神である」ということを認識しなければなりません。そのうえで、「“わたし”は“命”である」と表現するとき、自分が何を言っているのかがわかり、「“わたし”は“命”である」という言葉の真意を理解することになるのです。
(マタイによる福音書 16:16、22:32、マルコによる福音書 8:35、12:27、ルカによる福音書 9:24、12:23、20:38、ヨハネによる福音書 1:4、11:25、14:6、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 6:23、8:2、コリントの信徒への手紙一 15:22、コリントの信徒への手紙二 4:10-11、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 2:5、フィリピの信徒への手紙 1:21、コロサイの信徒への手紙 3:4、創世記 2:7、申命記 30:20、箴言 3:18、8:35、詩編 36:9-10、ヨハネの黙示録 1:8,18、21:6、22:13-14,17)
気づきを投稿するにはログインしてください。
新規ユーザー登録はこちら。