講話 11 – 4

“普遍なるもの”が個として現れたもの、それがキリストであり、このことは各人によって認識されなければなりません。そのとき個人は、自らの背後に、また人類全体の背後に、“全体なるもの”があることを知ります。なぜなら、分離はないからです。このことの完全な認識は、人の内に神を顕現させます。

(マタイによる福音書 5:14、16:16、マルコによる福音書 9:7、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 1:14、10:30、14:6,20、17:21-23、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 8:29、12:5、コリントの信徒への手紙一 3:23、8:6、12:12-13,27、15:28、コリントの信徒への手紙二 3:18、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、3:28、エフェソの信徒への手紙 1:23、2:14、4:4-6、フィリピの信徒への手紙 2:5-6、コロサイの信徒への手紙 1:15-16,27、3:11、ヘブライ人への手紙 1:1-2、ペトロの手紙一 1:23、ヨハネの手紙一 4:12-13、創世記 1:27、箴言 8:31、20:27、詩編 8:6、82:6、139:5、ヨハネの黙示録 1:1、3:20、21:3)

聖句検索