講話 10 – 128

“言葉”が、初めにありました。その“言葉”は、神と共にありました。まさにその“言葉”こそ神であり、そして、その“言葉”は、肉となりました。“キリストの実在”(the Reality of the Christ)を見るためには、“人格”的な観念が、あなたたちの想いから消え去っていなければなりません。これが、 “わたし” が言った「あなたたちは、何を見に出て来たのか、人間を見に来たのか?」という言葉の意味なのです。

(マタイによる福音書 11:7-9、17:5、マルコによる福音書 8:29、9:7-8、14:61-62、ルカによる福音書 7:24-27、9:20、24:16,26-27、ヨハネによる福音書 1:1-14、6:63、8:28,58、10:30、14:6、ローマの信徒への手紙 8:9-10、コリントの信徒への手紙一 15:45、コリントの信徒への手紙二 5:16、ガラテヤの信徒への手紙 1:15-16、エフェソの信徒への手紙 3:17、コロサイの信徒への手紙 1:15-17、ヘブライ人への手紙 1:1-3、コレヘトの言葉 3:11、箴言 8:22-23、20:27、詩編 2:7、46:11、ヨハネの黙示録 1:5-6、19:11-16)

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