講話 6 – 6
その“言”「わたしはある」(I AM)の意味を知らなければ、実在において「わたしはある」を発することはできません。しかし、「わたしはある」の意味を理解したとき、あなたたちは力の“言”を学んだのです。「わたしは命である」―― 神の命が、わたしの中で生きているがゆえに、わたしは生きているのです。命は神であり、神は命なのです。
(マタイによる福音書 5:8,14-16、16:16、28:20、マルコによる福音書 12:27、14:62、ルカによる福音書 17:21、24:5-6、ヨハネによる福音書 1:1,4,12-13、5:26、6:35,63、8:24,28,58、10:34、11:25-26、13:19、14:6,9-10、15:5、18:5-6,8、使徒言行録 9:5、17:28、ローマの信徒への手紙 8:2,10-11、コリントの信徒への手紙一 15:10,45、コリントの信徒への手紙二 3:17-18、4:10-11、12:9、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 2:4-5、3:16-19、フィリピの信徒への手紙 1:21、2:5-6,9-11、4:13、コロサイの信徒への手紙 1:17、3:3-4、テサロニケの信徒への手紙一 5:10、ヘブライ人への手紙 7:16、ヨハネの手紙一 4:4、創世記 2:7、出エジプト記 3:14、イザヤ書 41:4、45:5-6、箴言 8:35、18:10、20:27、詩編 36:10、46:11、90:2、ヨハネの黙示録 1:8,17-18、21:6、22:13,17)
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