講話 5 – 8
恐れるべきものは何もありません。忍耐強くありなさい。そうして、“父”が語ってくださることに委ねなさい。語られるのはわたしたちの内なる“父”なのです。わたし自身は無です。“わたし”の内に住まわれている“父”はすべてのすべてです。“父”は“わたし”を知り、“わたし”は“父”を知っています。“わたし”が“父”を知っているからこそ、“父”は“わたし”の中で、“わたし”を通して語られるのです。このようにして“わたし”は、神の“平和”と神の“愛”、神の“癒やし”と神の“叡智”をもたらすのです。
(詩篇 46:10、ハバクク書 2:20、イザヤ書 41:10、ヨハネによる福音書 14:10-11、マタイによる福音書 6:25-34、コリントの信徒への手紙一 13:4-7、2:10-11、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、フィリピの信徒への手紙 4:6-7)
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