講話 3 – 25

“神のキリスト”とは、わたしたち一人ひとりのすべてに“内在している神”が、“生ける神”として、“父”が“父ご自身”を現されているのであり、それ以外に存在するものはありえません。初めから神のみが存在し、神のみが永遠に生きておられるのです。“キリスト”は分離されることはなく、あなたたちの内なる“キリスト”と、“わたし”の内なる“キリスト”は同じものなのです。“キリスト”とは、生ける“神ご自身”の現れなのです。ですから「わたしは“命”である」と言うのです。“父”はご自身の内に“命”を持たれ、その同じ“命”を持つことを“子”にも許されたのです。

(ヨハネによる福音書 1:4、5:26、10:30、14:9-10、ヨハネの手紙一 4:12、コロサイの信徒への手紙 1:19、出エジプト記 3:14、イザヤ書 43:10)

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