講話 2 – 23
あなたたちが肉眼で何かを見るとき、それが本物だというのは、見たり触れたりすることができるからです。しかしあなたたちが見ているものは、目に見えないまま存在し続けている大いなるもの――すなわち、創造力、命、宇宙で唯一永遠に存在する力――これらの外面的な現れにすぎないのです。これこそがあなたたちやわたし、そしてすべての生きとし生けるものに宿っている生命原理なのです。この命は愛であり、この命が安らぎなのです。「わたしは命である」
(マタイによる福音書 5:14-16、6:22-25、マルコによる福音書 4:26-28、10:27、12:29-30、ルカによる福音書 12:23、17:20-21、ヨハネによる福音書 1:1-14、6:63、10:10、14:6,27、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 5:5、8:2,11、コリントの信徒への手紙一 8:6、13:13、コリントの信徒への手紙二 3:6、4:18、ガラテヤの信徒への手紙 5:22、エフェソの信徒への手紙 2:14、4:6、フィリピの信徒への手紙 4:7、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、ヘブライ人への手紙 11:3、ペトロの手紙一 1:23、ヨハネの手紙一 4:8,16、創世記 2:7、イザヤ書 45:5、箴言 4:23、8:22-23,35、詩編 36:9、119:105、ヨハネの黙示録 21:1-6、22:1-2)
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