講話 2 – 17

子供は本能的に物事を知っています。子供が知りたいと願う多くの切実な問いは、それを導くべき者の無智のために、答えられずに残っています。これらの問いは、もう一度問われるときが来るまで、おそらく生涯にわたって答えられないまま残ることもあります。真理を求める魂は、扉を開くことができるのです。なぜなら、「見よ、わたしは戸の外に立って扉を叩く。誰でも戸を開けるなら、わたしはその人のところに入り、その人と共に食事をし、その人もまたわたしと共に食事する」とあるからです。これこそ、生ける神の偉大にして強力な真理なのです。「わたしと父は一つである」

(マタイによる福音書 7:7-8、18:3-4、19:14、マルコによる福音書 10:14-15、ルカによる福音書 10:21、11:9-10、ヨハネによる福音書 10:9,27-30、14:6,26、16:13、使徒言行録 2:39、ローマの信徒への手紙 8:15-16、コリントの信徒への手紙一 2:10-12、コリントの信徒への手紙二 3:16、4:6、ガラテヤの信徒への手紙 4:6、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、フィリピの信徒への手紙 2:15、コロサイの信徒への手紙 1:27、2:3、ヘブライ人への手紙 11:6、ヤコブの手紙 1:5、創世記 28:16、エレミヤ書 31:3、イザヤ書 55:6、箴言 8:17,34-35、詩編 8:3、25:4-5、34:11、42:2-3、119:130、ヨハネの黙示録 3:20、21:6)

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