講話 1 – 54
このことについて、注意深く思いを巡らせなさい。そうすれば、あなたたちの喜びは満ち溢れるでしょう。「わたしはある」(I AM)、これは、常に「今ここにある愛」です。わたしがまざまざと見たのはこの愛でした。わたしは、神が愛であること、わたしが神の子であるためには、わたしも愛でなければならないことを悟りました。わたしには、もはや愛以外には何もなく、どのような仕打ちがなされようとも神の子であり続けなければならないこと、過去も未来も知らず、罪も死も知ることのない、永遠にして常在の完全な愛であり続けなければならないことを悟ったのです。
(マタイによる福音書 5:44-48、22:37-39、マルコによる福音書 12:29-31、ルカによる福音書 6:27-36、23:34、ヨハネによる福音書 4:8、8:24,28,58、10:34、11:25-26、13:19,34-35、14:6,9-10,20、15:5,9-12、16:24、17:24-26、18:5-6,8、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 8:14-17,38-39、コリントの信徒への手紙一 13:4-8,13、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、5:22-23、エフェソの信徒への手紙 3:17-19、フィリピの信徒への手紙 4:4,7、コロサイの信徒への手紙 2:9-10、3:14、ヘブライ人への手紙 13:8、ヨハネの手紙一 4:8,16-18、申命記 6:5、レビ記 19:18、箴言 3:3-4、10:12、詩編 23:1-6、103:17、136:1、ヨハネの黙示録 1:8、21:4)
気づきを投稿するにはログインしてください。
新規ユーザー登録はこちら。