講話 1 – 43

すべての時が「“今”である」ことを悟り始めると、待ち望むことをやめ、切望することがなくなり、大きな緊張がなくなります。今日どれだけ多くの人びとが張り詰めて生活していることか。それは、“遍在なる臨在”に生きていないからなのです。過去と未来に生き、“今ここ”にある神の命の輝かしい現れを見失っているのです。

(マタイによる福音書 4:14、6:25,34、28:20、マルコによる福音書 13:33、ルカによる福音書 9:62、12:25-26、17:21、ヨハネによる福音書 14:6,17-19,27、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 8:38-39、13:11-12、コリントの信徒への手紙一 7:29-31、コリントの信徒への手紙二 6:2、ガラテヤの信徒への手紙 5:1、エフェソの信徒への手紙 5:14-16、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、コロサイの信徒への手紙 3:1-2、ヘブライ人への手紙 13:8、イザヤ書 41:10、43:18-19、コヘレトの言葉 3:1,11、箴言 8:34、27:1、詩編 37:4、46:11、118:24、139:7-12、ヨハネの黙示録 1:8)

聖句検索