講話 13 – 15

世は、“キリスト”が神の“命”を実際に生きることによって、“キリスト”を知るようになります。そして、小羊と獅子は、共に横たわるようになるのです。“神の小羊”とは、人の内なる“偉大なる力”であり、獅子とは、肉体感覚に生き、自らを知らない手に負えない人間です。しかしこの獅子も、“神の小羊”、すなわち内なる“キリスト”によって、従順になるのです。“愛”はすべてを克服します。“愛”は神であり、神は“愛”なのです。

(マタイによる福音書 5:5,7,9,44,48、11:29、マルコによる福音書 10:14-15、12:29-31、ルカによる福音書 6:27-28,35、ヨハネによる福音書 1:29、13:34-35、15:12-13、17:23-24、使徒言行録 3:19、10:38、17:28、ローマの信徒への手紙 5:5、8:37-39、12:2, 21、コリントの信徒への手紙一 13:4-8,13、コリントの信徒への手紙二 5:17, 10:4-5、12:9、ガラテヤの信徒への手紙 5:22-24、エフェソの信徒への手紙 2:14-16、3:17-20、4:2-3,32、フィリピの信徒への手紙 2:5-8、コロサイの信徒への手紙 3:12-14、ヨハネの手紙一 4:8、イザヤ書 11:6-9、エゼキエル書 34:25、ホセア書 2:20-25、箴言 10:12、15:1、16:6、詩編 18:1-2、23:1-4、85:11、145:8-9、ヨハネの黙示録 5:5-6,9、7:9-10、21:3-4, 22:1-3)

聖句検索