講話 12 – 114
多くの人びとが、「物質はそれ自体として実在するものだ」という誤った観念に固執したまま、この世を去っていきました。この長きにわたる感覚的信仰(sense-belief)こそ、多くの敬虔で、高貴な魂の進歩を妨げてきたのです。彼らは今もなお、物質の実在を信じ、その感覚のうちに生き続けています。それが彼らにとって現実そのものだからです。
(マタイによる福音書 6:19-21,24、マルコによる福音書 4:18-19、8:23,36、ルカによる福音書 12:15,20-21、16:13、ヨハネによる福音書 6:27,63、使徒言行録 17:29-30、ローマの信徒への手紙 8:5-6、コリントの信徒への手紙一 2:4-5,14、コリントの信徒への手紙二 4:16-18、5:7、ガラテヤの信徒への手紙 6:8、エフェソの信徒への手紙 2:1-3、4:17-18、フィリピの信徒への手紙 3:19-20、コロサイの信徒への手紙 2:8、3:1-3、イザヤ書 40:6-8、コレヘトの言葉 1:2,14、2:11、箴言 14:12、23:4-5、詩編 39:6、49:7-13,21、ヨハネの黙示録 3:17-18、18:11-14)
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