講話 11 – 86

(ここでいう)“思い”とは、“思う”者から直接的に発せられるものであり、“思う”者から決して切り離されることはなく、“思う”者自身なのです。“思う”ということは、すべての形体や表現の背後にある“創造の働き”そのものなのです。

(マタイによる福音書 12:34-35、マルコによる福音書 4:26-29、7:21-23、ルカによる福音書 6:45、8:11、ヨハネによる福音書 1:1-3、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 12:2、コリントの信徒への手紙一 2:11,16、コリントの信徒への手紙二 4:6-7、10:5、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、6:7、エフェソの信徒への手紙 2:10、3:20、フィリピの信徒への手紙 4:8、コロサイの信徒への手紙 1:16、ヘブライ人への手紙 11:3、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、創世記 1:1-3、箴言 16:3、23:7、詩編 33:6,9、139:2,23-24、ヨハネの黙示録 2:23、3:20、4:11、19:13、21:5、22:12)

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