講話 11 – 65
たとえもっとも惨めで、堕落しきった者でも、たとえ“父”に対してあらゆる罪を犯した人間でさえも、自らのすべての悪を告白し、“神による赦し”を求め、“父”の慈悲に身を投げ出すならば、それによって救われるのです。
(マタイによる福音書 9:13、マルコによる福音書 2:17、ルカによる福音書 15:7,11-32、18:13-14、ヨハネによる福音書 6:37、使徒言行録 3:19、ローマの信徒への手紙 5:8、コリントの信徒への手紙一 6:11、コリントの信徒への手紙二 5:17、ガラテヤの信徒への手紙 2:16、エフェソの信徒への手紙 2:4-5、フィリピの信徒への手紙 3:13-14、コロサイの信徒への手紙 1:13-14、ヨハネの手紙一 1:9、ヘブライ人への手紙 4:16、イザヤ書 55:7、エゼキエル書 18:22、33:11、コレヘトの言葉 7:20、箴言 28:13、詩編 51:1-3,17、103:10-12、ヨハネの黙示録 2:5、3:19-20)
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