講話 11 – 29
たとえ偶像を象徴として扱っていても、意識はその象徴の背後にあるものに気づいていなければなりません。無智なままに偶像を礼拝することは無益なことです。父の内に生き、父が自らの内に生きていることを知ることこそが真の礼拝なのです。
(マタイによる福音書 15:8-9、マルコによる福音書 7:6-7、12:29-31、ルカによる福音書 16:13、17:21、ヨハネによる福音書 4:23-24、14:20,23、15:4、使徒言行録 7:48、17:24-25,29、ローマの信徒への手紙 1:22-23、8:38-39、12:1、コリントの信徒への手紙一 3:16、6:19、10:19-20、コリントの信徒への手紙二 6:16、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、4:9、エフェソの信徒への手紙 2:22、4:4-6、フィリピの信徒への手紙 3:3、コロサイの信徒への手紙 1:27、2:8、ヨハネの手紙一 3:24、4:13-16、出エジプト記 20:3-5、申命記 4:28、サムエル記上 15:22、イザヤ書 29:13、44:9-20、66:1-2、エレミヤ書 10:5、ハバクク書 2:18-19、箴言 3:5-6、9:10、15:8、詩編 1:1-3、14:1、51:18-19、115:4-8、ヨハネの黙示録 21:22)
気づきを投稿するにはログインしてください。
新規ユーザー登録はこちら。