講話 11 – 3
各個人の内にある“普遍なるもの”が認識されると、それは真に普遍なるものとなります。かくして、個人の背後にある“全体”が各個人によって悟られるのです。
(マタイによる福音書 5:14,48、22:39、マルコによる福音書 4:11,22、12:29-31、ルカによる福音書 8:10、17:21、ヨハネによる福音書 14:20、17:21-23、使徒言行録 17:27-28、ローマの信徒への手紙 8:29、11:36、12:5、コリントの信徒への手紙一 3:16、8:6、12:12-13、15:28、コリントの信徒への手紙二 3:18、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、4:19、エフェソの信徒への手紙 1:23、4:6,13、フィリピの信徒への手紙 2:2、コロサイの信徒への手紙 1:17、3:11、ペトロの手紙一 1:23、ヨハネの手紙一 4:13-16、イザヤ書 45:6、エレミヤ書 23:24、ゼカリヤ書 14:9、ヨブ記 12:10、コレヘトの言葉 3:11、箴言 8:31、20:27、詩編 36:10、133:1、139:7-10、ヨハネの黙示録 1:8、21:3,6,24、22:2,13-14)
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