講話 10 – 11
論理的思考を超えた、“わかる”というものがあります。それは、言葉や観念を超えた“わかる”(直接知、直覚)です。悟りを伴わない観念や言説は、単なる言葉に過ぎないのです。
(マタイによる福音書 11:25、13:13、16:17、マルコによる福音書 4:11-12、ルカによる福音書 24:45、ヨハネによる福音書 4:24、14:6、16:13、使徒言行録 1:8、 16:14、ローマの信徒への手紙 8:27、11:33、コリントの信徒への手紙一 2:9-10,14-16、コリントの信徒への手紙二 4:6、ガラテヤの信徒への手紙 5:6、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、フィリピの信徒への手紙 4:7、ヘブライ人への手紙 8:11、ヤコブの手紙 1:5、ヨハネの手紙一 4:8、イザヤ書 55:8-9、箴言 3:5-6、15:14、詩編 119:18、ヨハネの黙示録 1:1-2、2:29、3:20、10:4、17:7)
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