講話 10 – 10
“わたし” が言いたいことは、こういうことです。あなたたちが、自己の“ハート”(心・精神・胸・中心)で理解し始め、ハートが純粋になると、そこに“キリスト”が住まわれるのです。言葉や考えは、知性に属するものですが、観念を超えて本当に感じるのは、“ハート”なのです。観念や考えは、“真理”ではありません。言説や格言も、“真理”ではありません。信念や信条、信仰でさえも、“真理”ではありません。“真理”は、それらすべてを超えたところにあるのです。
(マタイによる福音書 5:8、15:8-9、マルコによる福音書 7:6-8、12:33、ルカによる福音書 6:45、ヨハネによる福音書 1:17、8:32、14:6,23、使徒言行録 15:8-9、ローマの信徒への手紙 2:29、10:10、コリントの信徒への手紙一 2:4-5,14-16、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 3:17、フィリピの信徒への手紙 4:7、ヘブライ人への手紙 4:12、ヤコブの手紙 1:5、3:17、ヨハネの手紙一 4:8、エレミヤ書 31:33、箴言 4:23、15:14、詩編 51:12、ヨハネの黙示録 2:4-5、3:20)
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