講話 8 – 98
“キリスト”は、自然の体(肉体)の中にまかれた種子であり、霊的な体(霊体)として引き上げられます。体は、“キリスト”が働くための焦点にすぎないのです。
(マタイによる福音書 13:37、マルコによる福音書 4:26-27、ルカによる福音書 8:11、ヨハネによる福音書 12:24、 使徒言行録 2:24、17:28、ローマの信徒への手紙 8:10-11、コリントの信徒への手紙一 6:19-20、15:35-44、コリントの信徒への手紙二 4:10-11、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 3:16-17、フィリピの信徒への手紙 3:20-21、コロサイの信徒への手紙 1:27、ヘブライ人への手紙 10:5、創世記 1:27、2:7、イザヤ書 53:5,10-11、箴言 4:20-22、20:27、詩編 16:10、139:13-14、ヨハネの黙示録 21:5,22)
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