講話 7 – 49
“信じる”という言葉は、『聖書』の中で、まちがった解釈をされてきました。“信じる”とは、「深く知る」ということであり、この「深く知る」ことこそが、理解(understanding)をもたらすのです。その理解が深まるにつれて、あなたたちを通して働かれている、“父”を意識するようになるのです。“父”が授けて下さった賜物を、自然に開花させなさい。それらは今、あなたたちが気づくのを待っています。あなたたちは、インスピレーションによって、“神聖な賜物”を、開花させることができるのです。
(マタイによる福音書 6:33、13:11,23、マルコによる福音書 9:23-24、11:24、ルカによる福音書 8:50、24:45、ヨハネによる福音書 1:12-13、14:12,21,26、17:3、使徒言行録 1:8、17:28、ローマの信徒への手紙 12:2,6-8、コリントの信徒への手紙一 2:10-14、12:7、コリントの信徒への手紙二 3:18、4:6、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、フィリピの信徒への手紙 2:13、3:8-10、コロサイの信徒への手紙 1:9-10、テモテへの手紙二 1:6-7、ヘブライ人への手紙 5:14、8:10-11、11:1、ヤコブの手紙 1:5,17、ペトロの手紙一 4:10-11、箴言 2:6、3:5-6、詩編 23:1-6、25:8-9,14、27:1、119:66、121:1-2、ヨハネの黙示録 2:17、3:8,20)
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