講話 7 – 12

このように、“言葉”とは、内部にある高価な真珠(である本質)を包み隠している、外側の殻に過ぎません。たとえば、「“わたし”はある」「“わたし”は“命”である」と、自分の想いの中にある言葉を発するとき、それらは、肉体感覚を通して表現されますが、それらの言葉は、永遠にして常在である霊的な状態に、蘇ることができるのです。

(マタイによる福音書 13:45-46、24:35、マルコによる福音書 4:33-34、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 1:1,4、6:63、8:58、14:6、17:17、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 10:8,17、コリントの信徒への手紙一 2:13、コリントの信徒への手紙二 3:6、4:7、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 3:17、4:23、フィリピの信徒への手紙 2:5-6、4:13、コロサイの信徒への手紙 1:15-17、3:4、ヘブライ人への手紙 4:12、出エジプト記 3:14、イザヤ書 55:11、エゼキエル書 37:4-5、 箴言 20:27、25:2、詩編 46:11、119:105,130、ヨハネの黙示録 1:8、2:17)

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