講話 5 – 98
“わたし”は神から来たことを知っていました。神が“わたし”をこの世に遣わせられたことを知っていました。世が“わたし”を否定することを知っていました。しかし、“わたし”を拒むことで、世は“わたし”を受け入れざるを得なくなるのです。あえて言っておきますが、“わたし”を拒むことは、“わたし”を遣わされた“父”を拒むことです。“わたし”は“父の光”であり、人の中で“ご自身”を顕現されている“神の意識”なのです。
(ヨハネによる福音書 1:10-11、3:19、7:7,29、8:14-21,42、10:30、15:18-21、ヨハネの手紙一 2:23、4:9)
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