講話 3 – 65
父の臨在の溢れる喜びと、永遠に父と共にある至福こそが、何よりもキリスト意識を花開かせます。心を外に向けてはいけません。外を見ず、心を内に向け、自らが“在る”(BE)を知りなさい。「わたしはある(I AM)、わたしは真実である、わたしは永遠である、わたしは神の霊である、わたしは命である」―― この悟りにおいて、魂は歓喜するのです。外からの雑音が静まり、神のものではないものすべてを見分けたとき、初めてこの法悦がもたらされるのです。
(マタイによる福音書 6:6、16:16-17、28:20、マルコによる福音書 9:2-3,7、ルカによる福音書 17:21、24:32、ヨハネによる福音書 1:4、4:24、6:63、8:58、10:30、14:6,20-23、15:4-5,11、17:21-23、使徒言行録 17:27-28、ローマの信徒への手紙 8:6,38-39、12:2、コリントの信徒への手紙一 2:12,16、15:45、コリントの信徒への手紙二 3:17-18、4:6、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 3:16-17、4:6,23-24、フィリピの信徒への手紙 4:4,7-8、コロサイの信徒への手紙 1:27、3:1-4,15-16、ヨハネの手紙一 4:8、出エジプト記 3:14、イザヤ書 26:3、55:6、箴言 3:5-6、4:23、8:17、15:3、17:22、詩編 4:9、16:11、27:1、36:10、46:11、62:2-3、84:3、131:2、139:7-10、ヨハネの黙示録 3:20、21:3-6、21:6、22:5)
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