講話 2 – 54
十字架という象徴は、人の内なるキリストが世に打ち勝つということ、すなわち、人の手によって造られたのではない神殿(魂・肉体)の中での目覚め、献身、荒野での試み(誘惑)、十字架刑、復活、昇天を示しています。これこそが勝利者キリストです。これらの段階はすでに説明しているの繰り返す必要はないでしょう。しかし、わたしの言葉を再び読むならば、あなたたちの内なる霊はさらなる真理を明かします。
(マタイによる福音書 4:1-11、5:14、16:24、28:5-6、マルコによる福音書 8:34、16:6、ルカによる福音書 9:23、24:6-7,46、ヨハネによる福音書 2:19-21、11:25、14:20、16:33、20:17、使徒言行録 1:9、ローマの信徒への手紙 6:4-5、コリントの信徒への手紙一 1:18、3:16、15:3-4,20-22、コリントの信徒への手紙二 3:18、4:7-11、ガラテヤ人への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 2:6、3:16-17、フィリピの信徒への手紙 2:8-9、3:10-11、コロサイの信徒への手紙 1:27、3:1、ヘブライ人への手紙 12:2、ペトロの手紙一 3:18、ヨハネの手紙一 4:16、箴言 4:18、24:16、詩編 22:1、34:19、73:24、118:22-23、ヨハネの黙示録 1:18、2:7,10、3:21、5:12、12:11、19:16、21:3-4,22、 22:20)
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