講話 2 – 48
“わたし”は、“キリスト”から語っているのです。常に、そうしてきました。 “わたし”の言葉が、外なるものだけに生きている人びとにとって奇妙に思えたのは、そのためです。何百万もの人びとが、いまだに束縛されています。しかし、“わたし”の扉は、どんなときでも、すべての人に開け放たれており、誰でも入って来て、“わたし”と共に、食事をすることができるのです。
(マタイによる福音書 11:25,28-30、マルコによる福音書 2:17、8:34、10:14-15,45、ルカによる福音書 13:29、19:10、ヨハネによる福音書 6:35、10:9、14:6,26、ローマの信徒への手紙 8:1-2、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、5:1、コリントの信徒への手紙二 3:17、4:3-4、5:20、コロサイの信徒への手紙 3:11、ヨハネの手紙一 2:27、出エジプト記 3:7-8、エレミヤ書 29:13-14、イザヤ書 55:1、61:1、箴言 3:5-6、8:17、詩編 23:5、34:8、107:14、145:18、ヨハネの黙示録 3:20、22:17)
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