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石や岩ですら父なる神の創造の驚異です。露(つゆ)の雫(しずく)一滴一滴が、父なる神の法則に従い、永遠の目的を果たしています。

“初めにあった言葉”に心を開いていくと、あなたたちはさらに高度な法則を見分けるようになり、それらの法則に調和していくことができるようになるでしょう。(ヨハネによる福音書1章1-4、10-13節)

あなたたちはまちがいを犯すでしょう。しかしそれらはあなたたちを助ける経験になります。恐れてはいけません。過去を悔やんでもなりません。強大な“永遠の愛”が、あらゆる場所で、いま顕現しようとしていることを知りなさい。

“わたし”は人の内なる“光”であり、“わたし”に従う者は暗闇の中を歩むことはありません。“わたし”は“世の光”です。(ヨハネによる福音書1章3-5節、8章12節)

“わたし”は“父なる神の栄光”のすべてをあなたたちに明らかにします。わたしはそのために来たのです。(ヨハネによる福音書10章7、9-10節、14章6-9節、17章3節、18章37節。テモテへの手紙一2章5節)

パリサイ人たちは言いました。「お前は自分自身について証(あかし)をしているが、お前の証は真実ではない」と。(ヨハネによる福音書8章13節)

彼らは“神の霊”を知らず、わたしがどこから来てどこへ行くのかも知りませんでした。わたしは自分がどこから来てどこへ行くのかを知っていました。(ヨハネによる福音書8章14節)

“わたし”は自分が神から来たことを知っていました。神が“わたし”をこの世に遣わせられたことを知っていました。世が“わたし”を否定すること、しかし、“わたし”を否定することによって、世は“わたし”を受け入れざるを得なくなることを知っていました。“わたし”を否定することは、“わたし”を遣わせられた父を否定することです。“わたし”は“父なる神の命”なのです。人の内奥で“ご自身”を顕現されている“神ご自身の意識”なのです。(ヨハネによる福音書8章14-21節)

人は肉(の世の掟)に従って裁きますが、“わたし”は誰も裁きません。しかし、もし“わたし”が裁くならば、その裁きは真実です。なぜなら“わたし”は一人ではなく、父が“わたし”と共にいてくださるからです。(ヨハネによる福音書8章16-17節)

“わたし”は自分自身についての証はしません。しかし、“わたし”を遣わせられた“わたし”の父が“わたし”に関する証をされます。ゆえに、もしあなたたちが“わたし”を受け入れるならば、“わたし”の父をも受け入れたことになります。(わたしと父の間には)分離はないことに目覚めなさい、そうすればあなたたちにも、“わたし”のことがわかります。(ヨハネによる福音書5章31節、8章18節)