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“わたし”は“父の愛”と、“父の力”と、“父の叡智”と、“父の永遠なる命”によって、父を明らかにしました。“わたし”は、 “わたしを遣わされた方である父”を惜しみなく与えるために来たのです。これこそが人類の救いです。(ヨハネによる福音書5章38-40節)

わたしは肉から語るのではなく、“神の意識”から語ります。わたしは神の中に永遠に住んでいます。今あなたたちに語っているのは、わたしの内におられる父なのです。(ヨハネによる福音書5章19節、8章28節)

もしあなたたちがわたしの“言葉”を受け入れるなら、あなたたちは自由になるのです。まさに“生ける”父が“わたし”を遣わされ、“わたし”が生きているように、“わたし”を食べるものは誰でも“わたし”によって生きるのです。(ヨハネによる福音書6章48-58節)

“わたし”を食べるということは、“わたし”をあなたたちの中に取り込み、あなたたち自身のものにするということです。そうすれば、“わたし”はあなたたちの中におり、あなたたちは“わたし”の中におり、わたしたちは皆、父の中にいるようになります。

“わたし”は常にあなたたちの心(ハート)の扉を叩いており、あなたたちは扉の外でいつも辛抱(しんぼう)強く待っている“わたし”を発見するでしょう。そして、あなたたちが心(ハート)と想念(マインド)の扉を開けば、“わたし”は中に入り、あなたたちと共に永遠に生き、あなたたちは常に“わたし”と共にいるようになります。(ヨハネの黙示録3章20節)

これこそが天から降ってきた“パン”であり、このパンを食べるものは永遠に生きます。(ヨハネによる福音書6章58節)

“わたし”は生きており、わたしが行った約束は“父なる神の言葉”です。ゆえに、あなたたちは永遠に生きます。なぜなら、“わたし”に死はなく、わたしは“命”だからです。

おそらく、わたしが語ったことをまだ理解していない者もいるでしょう。そのような者は“わたしの言葉”に躓(つまず)きます。

人の内なる“神の霊”は「“わたし”はある」です。旧約聖書を読めば、モーゼが燃える柴(しば)に気づいたとき、その中から「“わたし”はある」と発した声があったことがわかります。これは諸々の預言者たちに与えられた「“力” の秘密の言葉」であり、大勢の人びとに伝えられました。彼らはそれを口にしましたが、理解はしませんでした。しかし理解できた者は、預言者たちの智恵の中に入りました。(出エジプト記3章1-14節)

人の内なる“神の霊”は「“わたし”はある」です。“わたし”は“霊”であり、“霊”はその源(みなもと)に昇っていきます。“霊”こそが生命を与えるものであり、肉体自体に生命はありません。わたしがあなたたちに語った言葉は、“霊”と“命”です。