講話 12 - 1
気づきを読む・書く聖なる想念とは、あなたたちの内なる“キリスト”の湧現です。
講話 12 - 2
気づきを読む・書くあなたたちのうちほんのわずかな人しか、“キリスト”の万能の力を理解していません。それは、あなたたち一人ひとり個別に現象化している父の“霊”なのです。父を意識しなさい、神の“言葉”を意識しなさい。外なるものと内なるものを繋(つな)ぐ者、それがあなたたちの内なる“キリスト”なのです。
講話 12 - 3
気づきを読む・書くあなたたちは、内側を究めれば、父を発見するでしょう。外側を探せば、種々の反応、結果が目に入ります。あなたたちはこの二つの違いを認識し、あなたたちの内なる偉大な“創造力”に気づかなければいけません。これが存在する唯一の創造力です。その源を認識した上で、意識的に活用することは、その創造力自体に本来備わっている完璧性が、あなたたちの“生活”(生命・生活・生涯)にもたらされることになるのです。
講話 12 - 4
気づきを読む・書くゆえに、あなたたちの知能のプロセスである推論によってその力を制限してしまってはならないのです。そうするならば無限に至る道を閉ざしてしまいます。あなたたちの推論の働きは、物事を理解することに限定されています。それゆえに、あなたたちは一切の狭量な信仰や他人の考えを捨て去らなければなりません。そうすることで、曇りのない(制約されたもののない)意識状態が個人の意識に浸透し、そこに知能による推論を超えた“聖なる神の力”が溢れてくるのです。
講話 12 - 5
気づきを読む・書くこの“神性”そのものの特性には、推論なしに、想起(検索)なしに、ただちに知る能力(直接知)があります。在るがまま、自由自在です。神性には無限の理解力とキャパシティがありますので、神性それ自身の中に創造する力があります。それ自身が“叡智”(えいち)に満ちているので推論を超越しています。あなたたちが神性について推論するとき、推論がそれを制限します。なぜなら、それは推論を超越しているからです。あなたたちの推論は、想念の中にあるものに基づいていますが、“実在”はあなたたちの想念を超越しているからです。
講話 12 - 6
気づきを読む・書くあなたたちの推論が及ばないものについては、推論を働かせることはできません。しかし、あなたたちの想念の限界をクリアにすることで、あなたたちのキャパシティを広げることができます。
講話 12 - 7
気づきを読む・書くあなたたちの信念や信仰が、あなたたちの無限の展開を妨げています。もしあなたたちを邪魔する信念や信仰がなければ、あなたたちは再び幼い子供のようになり、妨害されることなく、自由に“実在”を理解することができるでしょう。
講話 12 - 8
気づきを読む・書く多くの人びとが、自分の硬直した信念や信仰のために妨げられており、他人から与えられた考えを超えるものは何も受け入れることができません。そのため、彼らは自分の外の権威に身を委ね、その結果、制限され、縛られ、もはや自由ではなくなってしまいます。
講話 12 - 9
気づきを読む・書くあなたたちの中に今、現れている“キリスト”のとてつもない“力”を妨げているのは、このような障害や信念なのです。“キリスト”は、天においても地においても、すべての力を与えられています。このことを理解すれば、制約された信念は消えます。なぜなら、本来、“キリスト”には、どんな制約もないからです。“キリスト力”とは、個別化された父なる神ご自身であり、あなたたち一人ひとりの中で個別にご自身を表現されています。ご自身から離れることなく、しかも、数え切れないほどの多様性を持ち、にもかかわらず一つであり、同一です。なぜなら、“キリスト”はすべての人に共通だからです。
講話 12 - 10
気づきを読む・書くあなたたちは幼子(おさなご)のようにならなければ、“神の国”に入ることはできません。他人から与えられた考えや信仰による束縛(そくばく)から解放された心(想念)となって、はじめて無限なるものを受け入れることができるのです。あなたたちの中で働いているのは“わたし”だからです。(マタイによる福音書18章3-5節)