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五官によって支配された意識がキリスト意識を意識するようになると、五官によって支配された意識は、キリスト意識の中によみがえります。キリストとして、わたしはこの世とこの世にあるすべてのものに打ち克ちました。わたしは、五官六根、肉体的な想念、煩悩というサタンに打ち克ったのです。あなたたちもそうしなければなりません。このようにしてあなたたちは、天からの声とは、神の意識であることを理解するでしょう。

人は自分の考えによって、自らの牢獄の壁を作ってしまいます。自分の考えによって、そのとおりに制約されてしまいます。あなたたちが抱くもっとも偉大な概念ですら、一つの制約にすぎません。「命とは何か」ではなく、「命とはこれだ」を示すことです。

具体的で形のある次元の被造物は、内なる目に見えない原因の結果です。あなたたちの肉体は、さらなる進化のための出発点としての役割を果たします。その進化においては、永遠に存在する唯一の質料、力、生命という霊の全体性のすべてが意識的に実現されていかなければなりません。その現れが愛の実在です。

心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神を愛しなさい。そしてあなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。これが人間の拠って立つべき法です。

(新約聖書の)放蕩息子のたとえ話の中に父の愛が表現されています。放蕩息子の耽溺、悔い改め、自分自身を取り戻すこと、すなわち本当の霊的状態の回復が示されています。まず第一に、息子は試練と苦難に見舞われます。父からいただいた相続財産を使い果たし、召使いになることを心に決めて帰ってきます。しかし父は、昔も今も自分の息子であるとして迎えます。

父の愛はとても大きく、息子が何をしようとも、父の愛は、その過ちを消し去ってくれます。これはどんな人生においても、どれほど真実なことでしょうか。過ちは、真理に気づいたときに正されるのです。過ちは、それを通してあなたたちがその状況を乗り越え、自分自身を理解するための経験なのです。過ちは乗り越えたときに消えてしまうのです。真理は、最初からそうであったように、(一切の制約を受けず)自由に立っています。

赦される前に、悔い改めることが必要です。悔い改めは父の愛に気づいたときに、人の心の中から出てきます。そうして、彼は赦されます。そのとき人は、自分の真の霊的な状態を取り戻し、神の中にいる自分自身を自覚し、すべてのものに仕え、自分にしてもらいたいことを人にするようになるのです。あなたたちがこの放蕩息子のようになるときに、あなたたちの前に祝宴が準備されるのです。兄弟姉妹に対する愛をもって、今すぐその宴に参加しなさい。愛によってのみ、父があなたたちのために用意してくださった祝宴に参加することができるからです。

これもまたあなたたちが地上で学ばなければならないことです。自分が悪いことをしたと思っていた人に対して、愛を与えることを、あなたたちはどれだけ避けてきたことでしょうか。それがどんなことであったとしても、あなたたちには関係のないことなのです。すべては父とその子との問題です。このことを覚えておけば、人を批判することはやめ、この武器をまず最初に自分に向けるようになるでしょう。

自分の欠点を最初に見ることによって、他人についてよりよく理解できるようになるでしょう。

あなたたちはこれまでとかく人を非難してきました。非難してはいけません、非難されないためです。裁いてはいけません、裁かれないためです。まず自分の目から厚板を取り除きなさい。そうすれば兄弟の目の小さなトゲをどう取り除いたらよいか、以前よりもよくわかるでしょう。