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わたしの弟子たちが集まったのは8日後のことでした。トマスも共にいました。わたしは彼の手を取ってわたしの脇に押し当て、わたしの手足を見せたのです。トマスは圧倒され、「主よ!わが神よ!」と叫びました。

死と呼ばれる体験の後にも人は生き続けることを知り、彼は圧倒されたのです。ここにすべての力の秘密があります。しかしそれを十分に理解できる人はほとんどいなかったのです。

トマスもまた信じませんでした。彼もまた、信じようとする前に、わたしの手と足を見ようとし、わたしの脇腹に手を差し込みました。

トマスは見たために信じました。しかしわたしは言います。「“わたし”を見ることなく信じる者は幸いです」

神がご自身の命の息を吹き込まれたものは、決して死ぬことはありません。 死を信じる死者のみが、その死を葬るのです。“生けるキリスト”に死はありません。

もしあなたたちが目を内側に向け、わたしが今見ているものを、その目を通して見ることができるならば、より大いなる悟りを得ることができるでしょう。

そうです。生ける“神のキリスト”の新たな悟りによって、あなたたちの目は見え、あなたたちの耳は聞くことになります。

倦(う)み、疲れた者は、これまでに決してなかったような安らぎを得るでしょう。

地上にいた間、悩み、苦しみ、そしてそれぞれのゲッセマネの門を通過した人びとの中には、おそらく年老い、衰弱した、地上にいたときの状態をそのまま記憶している人もいるでしょう。そうした人びとが、まさに処分しなければならないのは、心(想念)の中の思い込みであることに気づくでしょう。とはいえ、魂は当分の間、傷を負ったままです。彼らは深い眠りの中に入り、魂は眠ります。やがて、“キリストの実在”に目覚めます。彼らは若返り、傷ついた記憶となったすべての状態から解放されます。

しかし、もし彼らが望むならば、地上の人びとに自分たちが誰であったかを示すために、過去の姿を再現することができるのです。けれども彼らは、内なる世界に戻るやいなや、そうした状態は捨て去り、“神の完全なるキリスト”を現すことに生きるのです。